武豊町の浦島太郎伝説の地を巡る旅。改めて史跡ウォーキングマップを示しておこう。
前回は浦島橋まで紹介したが、そこから西の田園地帯を抜けていくと第五のチェックポイント「知里付神社」がある。
この社は垂仁天皇26年(紀元前4年)に少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀って創建され、天暦9年(955)に北野天満天神を相殿として合祀されたと伝わる。
イロハモミジが美しく色づいていた。
境内には浦島社も祀られていた。
社宝は「あけずの箱」―。説明看板にはこう書かれている。「浦島太郎が竜宮から帰郷するとき乙姫から贈られたというもので、滅多なことでは開けられず中身は不明という」。
つまり「玉手箱」だ!
地元の東大高区から特別に提供いただいた「あけずの箱」の写真がこれだ。
説明看板には、さらに「あけずの箱」にまつわる逸話が紹介されている。
「古老によると、明治時代干ばつの年、宮司が個の箱を浦之島の沖に舟で運び出し、祈祷を捧げ箱のふたを払うと、遥か彼方に雨雲が浮かび大雨が降ったという」。
「浦之島」は前回紹介した浦島橋の辺りの地名である。スタンダードな話では浦島太郎は乙姫様との約束を破って玉手箱を開けてしまい、「中からぱっと白煙 たちまち太郎はおじいさん」になってしまうのだが、武豊の「玉手箱」は雨乞いにも使われていたようだ。
そういえば武豊のある知多半島は愛知用水ができるまでは水不足に苦しめられた土地柄である。
さて、知里付神社から西へ向かうと住宅街の中に最後のチェックポイント「真楽寺」がある。
この寺は元亀元年(1570)に創立。元亀元年といえば織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った姉川の合戦の年である。
それはさておき、ここに浦島太郎が助けた亀の墓と伝わる墓石がある。それがこれ。
なるほど亀の甲羅の形をしている。
「私はこの辺りの出身で、子供のころから亀の墓として親しんできました」というのは真楽寺の檀家さん。
「地元で伝わっていた武豊の浦島太郎伝説が広く世間に知られるようになったのは大正時代と言われます。今で言う村おこしの題材としたのが始まりのようですね。平成に入ってから商工会のメンバーを中心に浦島太郎探検隊を組織して、全国の浦島太郎伝説の残る地域の交流サミットに参加したり、史跡の情報発信などをしています」と教えてくれた。
今年も名鉄とJRによる史跡ウォーキングが開催されて、合計4000人ほどが参加したという。「今後も味噌・たまりとともに武豊の観光資源としてアピールできれば」と話す。
伝説の地を巡ったおかげで、私は思いがけず武豊の民衆史、風土を知ることが出来た。浦島太郎の史跡ウォーキングコースは観光資源であると同時に、地域の子供たちがふるさとを知る「教材」でもあるのだ。これこそが、乙姫様のくれた「玉手箱」なのかもしれない。(2011年12月1日取材)
問い合わせ
武豊町観光協会(武豊町商工会内)
電話 0569-73-1100
武豊町企画政策課
電話 0569-72-1111
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