味噌やたまりの醸造で名高い武豊町のことをインターネットで調べていたら、素敵なサイトを発見した。
「浦島太郎探検隊」!
なんでも武豊町には古くから「浦島太郎」の伝説があり、竜宮城や浦島太郎、乙姫様などの名のついた史跡がたくさんあるといい、地図まで掲載されている。地元の神社には「あけずの箱」という玉手箱?まで現存するというではないか!
「伝説」とか「探検」が大好きな私は、早速、探検隊の事務局がある武豊町商工会に電話を入れた。すると女性職員が明るい声で「あ!浦島太郎の件ですね」と言って、テキパキと取材の手配してくれた。この話を我が「レッツゴーあいち」スタッフたちにすると大いに盛り上がり、別の取材で武豊町に行ったライター・ハシモトさんは史跡ウォーキングマップまで入手してくれた。
「なぞを究明してきてネ!」―。周囲の盛り上がりに若干のプレッシャーを感じないわけではなかったが、マップを片手に勇躍、出発点の名鉄富貴駅に降り立ったのは2011年12月1日のことであった。
富貴―。この地名からして浦島太郎に関連しているのではと地元では伝わっている。富貴には、かつて「負亀(おぶがめ)」という地区があって、江戸時代の古地図を見ると「浦島屋敷」という一画もある。太郎が助けた亀の背に乗って出て行った土地だから「負亀」というわけだが「負亀」を音で読むと‥。「それ、フキと読めますじゃろうが。これが富貴という村の本当の意味と言えますまいか」(「武豊のむかしばなし」より)。「負亀」が転じて「富貴」になったのではないかというのである。
う~む。さて史跡ウォーキングのコース(上記地図参照)だが、富貴駅から東(海側)に向かって進み、海が近づいたら海沿いに北上、時計の針と反対周りに回って駅に戻るというもので全長約4キロ。途中、6つのチェックポイント(史跡)がある。
マップにしたがって進むと、いきなり「竜宮保育園」の看板を発見。すでに私は伝説の地に足を踏み入れていたようだ。
保育園の南側に第一のチェックポイント「竜宮神社」があった。
神社といっても公園の奥の一画で、石垣の上に常夜灯と小さな社がある。
かたわらに説明が書かれた看板がある。ちなみに、この竜宮城が笑っているようなキュートな看板は各チェックポイントに設けられているのでありがたい。ルートマップも描かれている。
説明文によるとこの社は天長2年(825)7月に浦島太郎が竜宮城から帰ってから、竜宮をしのんで建立したと伝えられていて、祭神は大綿津見神(おおわたつみのかみ)。
今でこそ、護岸が整備されて知多半島の臨海工業地帯の一部を形成している武豊町だが、かつては富貴(竜宮)海水浴場が広がっていた。昭和34年(1959)の伊勢湾台風で海水浴場が閉鎖されるまで、毎年旧暦7月16日に、この社の前の砂浜で村の娘たちが総出で「浦島音頭」による「竜宮踊り」が奉納されていたという。
神社から海岸道路を海沿いに北に少し行くと、赤い橋がある。第二のチェックポイント「乙姫橋」だ。ここで乙姫様が浦島太郎を出迎えたという。
橋の上から海が見渡せる。この辺り一帯が海水浴場で、毎年「竜宮まつり」が盛大に行なわれて、「ミス乙姫」が選ばれた。
昭和初期にはこんな「富貴小唄」が作られた。
「富貴はよいとこ 竜宮浜で 乙姫様と乙姫様と 潮湯治」
小唄なので歌詞は少しオヤジっぽいが、看板の説明文では、スマートに「二人で手をつないでこの橋を渡れば、恋が実るかも‥。」と縁結びスポットとして推奨している。
中年男の私はたった一人で海岸道路を北へ。富貴ヨットハーバーを通り過ぎた辺りに数本の松があった。第三のチェックポイント「負亀の松」だ。
この辺りがかつて負亀と呼ばれた地区で、当時は白砂の海岸線が続き、松が生い茂っていた。産卵に来る海亀も多くいたという。
松は往時の白砂青松のなごり。浦島太郎が助けた亀は、ここに住んでいたという。
「負亀の松」のすぐ北に河口がある。川沿いの道を上流(北西)へと進むとまもなくして国道247号に行き当たり、川に橋が架かっている。「浦島橋」(第四チェックポイント)である。
橋の周辺はかつて「浦島屋敷」と呼ばれ、浦島太郎の生誕地と語り継がれている。心優しい太郎は、子供たちにいじめられている亀を助ける。後日、亀が訪ねてきて、お礼に竜宮城に案内するのだが、太郎を乗せた亀は浦島橋の下に流れる川を海へと下ったという。川は後に浦島川と名づけられた。
さらに探検を続けると、驚きの史跡が!(続く)
問い合わせ
武豊町観光協会(武豊町商工会内)
電話 0569-73-1100
武豊町企画政策課
電話 0569-72-1111
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