戦国武将のふるさとを行く(あま市)~蜂須賀家菩提寺と自然林の巻

投稿者名 : 長坂 | 日時 : 2011年11月07日 09:44

 愛知県西部に位置する、あま市は平成22年(2010年)に海部郡七宝町、美和町、甚目寺町が合併してできた新しい市だが、その歴史は古い。肥沃な濃尾平野と河川の恩恵を受けて農業を中心に発展してきたが、旧美和町からは蜂須賀小六や福島正則ら7人の戦国武将が生まれている。戦国の世を駆け抜けた男たちのふるさとを訪ねた。(2011年10月21日取材)


 はじめに位置関係を確認しておこう。今回3回にわたって紹介するのは蜂須賀小六ゆかりの蓮華寺、法蔵寺、あま市美和歴史民俗資料館、福島正則ゆかりの菊泉院である。これが周辺地図(「あま市文化財マップ」より)。

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 さて名鉄津島線の青塚駅を降りると踏切の脇に古い石碑が建っていた。「蜂須賀 弘法 城址 是ヨリ北五丁」「蓮華寺」とある。

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 裏に回って見ると、昭和2年(1927)に建てられた道標であることが分かった。「五丁(町)」ということは、目指す場所はここから約500メートル先だ。


 駅前の住宅街の細い路地を抜けると、すぐに田園地帯となる。刈入れを待つばかりの稲穂の向こうにこんもりとした森がある。黄金の海に浮かぶ小島のようなその森の中から伽藍の屋根が顔をのぞかせている。

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 池鈴山蓮華寺―。弘仁9年(818)に弘法大師が開いた真言宗智山派の古刹である。

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 寺周辺は蜂須賀郷と呼ばれる。一説には住民を悩ましていた蜂を封じるために弘法大師が塚を築いたことか「蜂塚」がなまって蜂須賀になったという。

 豊臣秀吉の名参謀として知られる蜂須賀小六正勝(1526-1586)は、蜂須賀郷の土豪蜂須賀家に生まれた。17歳のころに美濃の斎藤道三に仕え、道三の死後は秀吉に仕えた。桶狭間の戦い(1560)では織田信長の奇襲作戦を裏で支えたといわれる。

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 小六の嫡子家政(1558-1638)は先祖発祥の地である蜂須賀郷にある蓮華寺に50石を寄進し、阿波国(徳島県)の城主となった後も蜂須賀家の菩提寺として保護した。

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 こちらは家政が寄進した仁王門―。

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 寺の南西には蜂須賀城があったといわれ、仁王門に向かって左手には大正5年(1916)に建立された城址跡の石碑と昭和2年に建てられた小六の顕彰碑がある。

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 蓮華寺で、ぜひ見ておきたかったのが境内北側に広がる自然林である。

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 参詣に来た男性が「小学校のときに遠足に来たなあ。一緒に行きましょう」と同行してくれた。ピンクのエプロンをした四国八十八ヶ所霊場の石仏が両側に並ぶ林道を奥へと進む。

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 蓮華寺は海抜ゼロメートル地帯にできた自然堤防の上に建立された。その自然堤防にカシやサカキなどの常緑広葉樹が生い茂ったのである。

 尾張平野西部に残る唯一の大規模自然林で、この地方に潜在してきた自然植生を見ることができる貴重な森として昭和50年(1975)に愛知県の自然環境保全地域の第1号に指定された。


 林道の先が階段になっている。

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 そこを登り切ると「奥の院」―。

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 奥の院のすぐ横には頂上を示す三角点があった。標高11.8メートル。蜂須賀山とも呼ばれている。

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 三角点のすぐ下に小六と家政の合葬墓碑があった。

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(続く)

【蓮華寺】
住所
あま市蜂須賀大寺1352
問い合わせ
052-442-8522(あま市美和歴史民俗資料館


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