(2011年、6月14日)
美浜町の食と健康の館で塩づくり体験をした際 もらった知多半島まち巡りマップを見ていたら、美浜町には家族のかっぱ像があり、子供たちが上手に泳げるよう、また水難事故に遭わないよう見守っているということを知った。しかしこの一家、父の野間太郎が伊勢湾側の野間海岸、母のゆり子が三河湾に面した河和、そして娘の花ちゃんが河和口と別々に暮らしているという。昨年10月には一家離散を不憫に思った美浜町出身の篤志家の厚意で家族一緒に暮らせるようなったとのカッパ話を聞き「よかっぱ!」と駄洒落をつぶやきながら興味津々の記者。実際にかっぱの一家を見に行くことにした。
最初は当主(?!)の野間太郎。野間海水浴場の北側に1.5メートルほどのその像は建っている。健康的に日焼けした肌を褐色の肌というが、太郎は明らかに茶褐色の肌。大空に突き上げた右手が力強い。
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背中の甲羅には「野間太郎 父ちゃんかっぱと申します」の文字が。ちょっと高い位置から野間海岸を見渡している。かっぱの一家は昭和30年、当時賑わいのあった野間、河和、河和口の海水浴場にシンボルとして建てられたもので、一時は痛みもひどかったものの、現在ではご覧の通り修復されている。![]()
太郎像の横には野間海水浴場の案内図。カニの形になっている。舌をぺロッと出しているところがご愛嬌。![]()
憧れの太郎と会って、海を見守る姿にちょっと感動した記者。今度は母と娘に会うため、歩いて名鉄知多新線の野間駅まで戻り、富貴まで戻ってから河和口まで南下することにした。
そして河和口駅を出てすぐ、その姿が目に入った!![]()
鯛らしき大きな魚を抱えておしとやかに座る花ちゃん。よく見ると口紅を付けマニキュアも塗っている。頭はうっすら緑色で色白だ。![]()
甲羅には「花ちゃん娘カッパと申します」の文字。その背後には河和口の海が広がっている。背中に配管のあとがあるところを見ると、どこかから水が出る仕組みになっていたのかもしれない。しかしどこから出ていたのかは不明。![]()
続いて母、ゆり子を探して河和へ。
海上観光船の乗り場から南へ向かって海辺を歩いていると、いました!テトラポットの上から海を見下ろすゆり子が。![]()
カメのようなものを肩にかついで、たくましいゆり子母ちゃん。海から見るとこんな感じ。![]()
常に濡れていなければならないはずの頭の皿は干からびているのだが、かついでいるカメには水が湛えられている。![]()
ゆり子母ちゃんが見守る三河湾。遠くに日間賀島との定期観光船が見える。その痕跡からもしかしてゆり子母ちゃんは昔、おっぱいから水をチューッ!と出していたのかもしれないが確かめるすべはない(後日、観光協会の方に話を聞いたところによると、それぞれ体の一部分から水が飛び出す仕組みになっていて、シャワーの役割も果たしていたとのこと)。
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美浜のかっぱ家族全員に会い、満ち足りた気分で海上観光船の乗り場に戻った記者には、最後の仕事(?)が残されていた。それはかっぱ家族が仲良く一緒にいる新しい像を確かめることだ。乗り場の右側にその像はあった。
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一体ずつ置いてある像と比べると一回り小さめの家族像。ゆり子母ちゃんはカメを、花子は魚を持っている。
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後ろから見ると太郎父ちゃんは、野間では空に突き上げていた左手を、そっとゆり子母ちゃんの肩に回していた。
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6月19日には小野浦海水浴場で海開き式イベントが行われ、町内にある四つの海水浴場(小野浦、野間、若松、奥田)でいよいよ海水浴シーズンが始まる。
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コメントありがとうございます。12月10日のかっぱの苑除幕式(記事にもありますので、ご覧いただければ幸いです)でいただいた資料に「美浜町誌には、昭和30年にカッパ像のシャワーを作り、新聞社主催ではじめてカッパカーニバルが行われた」とありました。昭和31年7月29日にはかっぱ命名式が行われたようです。
jyaton | 2011年12月17日 18:58 | 返信
河和口の河童像は いつ頃 設置されたでしょうか?私は大正14年生まれ・86歳の老人です。
私が学生の頃 河和口の河童像を見て
師崎方面へ釣りに自転車で行きました。
どなたか ご存知でしたら教えて下さい。