豊臣秀吉(1537-98)とその重臣・加藤清正(1562-1611)の生誕地・名古屋市中村区にある秀吉清正記念館では夏休み特集展示「秀吉・清正の合戦」を開催中(8月29日まで)。子供向けとあって分かりやすく展示されている。珍しい展示品もいっぱい。意外と知られていない郷土の武将の実像を学ぶチャンスですぞ。(2010年7月29日取材・展示品は特別な許可を得て撮影)
地下鉄・中村公園駅で下車、地上に出ると名古屋名物・赤鳥居がド~ン!
高さ24メートル余。大正10年(1921)に中村村が名古屋市と合併したのを記念して昭和4年(1930)、豊国神社の一の鳥居として竣工した。
鳥居をくぐって中村公園内にある同神社に向かう参道を進む。この日は偶然、毎月9のつく日にある「九の市」で露店がずらり。新鮮な野菜や惣菜などを買い求める人々の名古屋弁が飛び交う。取材の合間に参道沿いの喫茶店やうどん店に入ったが、飾らない下町の風情が心地良い。読者の皆さんも是非、お立ち寄りを。
参道の突き当たりが中村公園。
公園内と園周辺には豊国神社など秀吉、清正ゆかりの施設が多数あるが、そちらは「中村公園界隈編」で紹介。まずは公園内の秀吉清正記念館に。
同記念館は豊清二公顕彰館を改称・名称変更して平成3年(1991)にオープン。中村図書館や中村文化小劇場と同じ中村公園文化プラザの2階にある。
同記念館は秀吉、清正と2人が生きた時代の貴重な資料約700点を所蔵。パネル、ビデオなども使って分かりやすく紹介。展示品は随時、替わるので、ここだけしかない貴重な資料を見逃さないようにHPなどをこまめにチェックしたい。
さて現在開催中の夏休み特集展示「秀吉・清正の合戦」は、数多くの合戦に参加しながらも、ほとんどで勝利した2人の強さの秘密を探るもの。
まず「秀吉の登場」コーナーでは、織田信長に仕えるまでの秀吉を主人公にした江戸時代のさし絵入り物語本や浮世絵を展示。こちらは信長のぞうりを懐で温めた有名な伝説を描いた昭和40年代の絵画―。
「秀吉が文献上、登場するのは28歳。それ以前のことは明らかでないことが多く、のちの世の作り話が多い」と学芸員の小西恒典さん。
続いて「秀吉の得意戦法」のコーナーでは天正10年(1582)の備中高松城(現岡山市)の攻略で用いた兵糧攻め(水攻め)や同年の中国大返しなどをパネルなどで紹介。
こちらは天正9年(1581)の鳥取城兵糧攻めを前にした秀吉自筆の書状。
これは鎧姿の秀吉を描いた珍しい絵画(江戸時代中期)。
「清正の合戦」コーナーでは勇猛な武将で知られた清正の絵画(江戸時代後期)が―。
清正といえば朝鮮半島での虎狩りが有名。これは明治時代の浮世絵―。
こちらは清正が仕留めた虎のあごの骨と伝わるもの。
「ほかにも虎刈りをした武将は大勢いた。秀吉が虎の肉を食べたいと命じたからです。しかし狩りのときに死者、けが人が続出して禁止命令が出た」と小西さん。
「戦場でのファッション」コーナーの見所は多い。まずはこれ―。
秀吉が着たと伝わるよろい「色々威二枚胴具足(いろいろおどししまいどうぐそく)」である。赤、紺、金など鮮やかに糸や紐で彩られ、兜の飾りにヤクの毛を使用。写真では分かりにくいが、肩にはフリルのような形の飾りがある。
こちらはさらに鮮やか。秀吉が着たといわれる陣羽織―。
ポルトガルか中国から輸入されたとみられるビロード・マントである。
よく見ると楽器をひく人物の模様など細部にわたって刺繍が施されている。
「秀吉は戦場でのファッションにも輸入した新材料やデザインを取り入れていた」(小西さん)
変わったものでは赤母衣(あかほろ)―。
中に竹かごのような骨組みを入れたもの。武者が合戦時に背負って、飛んでくる矢を防いだという。その姿を想像すると、戦国時代の戦闘のイメージが変わる。
次回は中村公園界隈を散策する―。(「中村公園界隈編」に続く)
問い合わせ
名古屋市秀吉清正記念館
住所
名古屋市中村区中村町茶ノ木25
電話
052-411-0035
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