(2010年6月5日取材)
洞隣寺を出て、東海道を北西(鳴海宿方面)に向かう。改めて刈谷市HPの周辺マップを表示しておこう。洞隣寺はマップのちょうど真ん中辺り。
前回も書いたようにこの辺りの東海道は国道1号と名鉄に挟まれて南東―北西に走っている。沿道の商店や住宅は密集していて交通量も多い。ただ東海道特有の緩やかなカーブが所々にあって道幅は広くない。洞隣寺近く、東海道沿いに「ひもかわうどん発祥の地」の碑がある。
これも前回書いたが、刈谷は知立宿と鳴海宿の中間にあって、旅人の休憩のための「立場(たてば)」として茶屋で賑わった。中でも「いもかわうどん」と呼ばれた平うどんは名物として江戸時代の十返舎一九「東海道中膝栗毛」や井原西鶴「好色一代男」にも登場する。東に伝わり「ひもかわうどん」として現代も残っている。また西に伝わり名古屋名物「きしめん」の元になったという説もある。
東海道を北西に進むと道端に「一ツ木こうほうみち」と刻まれた道標がある。
ここから南にある一ツ木弘法(西福寺)の縁日には、お参りに行く人が絶えず、幕末のころにこの道標が建てられたとみられる。
さらに北西に進んで右(北東)に曲がり、しばらく行くと国道1号近くに馬頭観音がある。
道中で病に倒れた馬を供養するために建てられたものといわれる。各地にあるが、この馬頭観音、台座に「右ころも 左東さかい」と道案内が彫られているのが珍しいという。
東海道に戻り、再び北西へと歩いていくと、江戸の風情を残す街並みが現れた。
この辺りにはかつて油絞り商を営んでいた商家であった家があり、油を絞り出すために綿の種を引く臼が残っていた。
そこから1キロほど歩いた辺りにお茶屋とわらじ屋があったという。
これはお茶屋「柏屋」の写真―。
わらじ屋では馬のわらじも編んでいた。刈谷ふるさとガイドボランティアのみなさんが今回のために編んだわらじを見せてくれた。
手前の写真のように馬の蹄に履かせた。
さらに進むと敷島製パンの刈谷工場が右手に見えてきた。工場前には地元の人が植えた松の木が東海道沿いに立ち並ぶ。
そこを過ぎると境川に掛かる境橋に出た。
境川は文字通り三河地方と尾張地方の境を流れる。境橋は慶長6年(1601)に東海道に伝馬制度が設けられてまもなくして架けられた。
真ん中から西側の尾張藩の造った部分は板橋、東側の刈谷藩の造った部分は土橋だった。江戸時代中期に絵と文で風俗を描いた高力猿猴庵の境橋の絵を見ると、刈谷藩側と尾張藩側が段違いになっている。
現在も橋の真ん中が市境。橋の上にある掲示も途中まで「刈谷市」―。
橋の真ん中を超えてしばらく行くと「豊明市」に―。
人間が決めたことなどはお構いなしに、川はゆったりと流れていた。
(2010年6月5日取材)
問い合わせ
刈谷市生涯学習部文化振興課
電話 0566-62-1037
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