恋愛関係のスポットは、このブログではマツモトちゃんの専門領域だが、おじさんだって恋の話は好きだ。このほど名古屋の「堀川文化を伝える会」主催の街歩き「想いかなう 広小路恋の伝説みち」に参加、いにしえの「コイバナ(恋話)」に想いを馳せた―。(2010年5月15日取材)
堀川文化を伝える会は、名古屋の歴史や独自の文化を後世に伝えようと平成13年に市民ボランティアと名古屋市中区役所まちづくり推進室が協働して結成。講演会や街歩きを行っている。今回が14回目となる同会の街歩き、過去には「名古屋妖怪地図を歩く」という魅惑的なテーマで知られざる名古屋のディープスポットを案内するなど、その活動には私も前から興味を持っていた。
さて広小路といえば名古屋の目抜き通りだが、この界隈には平安時代の昔から時代時代の恋の伝説があるという。集合場所の中区役所前でこの日のルートマップをいただいて出発―。
まずは久屋大通の名古屋テレビ塔すぐ南にある「小袖懸けの松」―。
高札によれば、この辺りはかつて自然に恵まれた眺望の良いところだったが、名古屋城築城後は町人の町として栄えた。小袖懸けの松とは、粋な名前の松だが、そこには悲しい伝説がある。
治承3年(1179)、平清盛に京を追われた太政大臣藤原師長は井戸田(名古屋市瑞穂区)に配流された。一年余で赦免されて帰京の際、師長は仕えていた娘に愛用の琴を贈った。師長への恋心を抑えきれない娘は師長との別れの帰りに古松に小袖をかけて松の下を流れる川に身を投げた。小袖を見つけた娘の両親は、小袖を埋めて塚を作った―。
テレビ塔を後にして、広小路を西に行けば堀川にかかる納屋橋。
慶長15年(1610)、名古屋城築城時に開削された堀川に架けられた。周辺は整備が進み、堀川沿いにおしゃれなお店が立ち並ぶ。
川は出会いと別れの場でもある。納屋橋近くにはかつてダンスホールがあり、若者たちが恋を語り合った。
堀川沿いに南に歩くと、まもなくして若宮大通に突き当たる。堀川に架かるのは新洲崎橋。そのすぐ下流に架かるのが洲崎橋―。
「若宮大通にはかつて紫川という川が流れていました。この辺りにも悲しい恋の伝説があります」。そう言って、教えてくれたのは堀川文化を伝える会顧問の沢井鈴一さん。
今は絶えてしまった童謡にこんな歌がある。
紫川に身を投げて 身は身で沈む 小そでは小そでで浮いていく
沢井さんによれば、この歌にまつわる伝説は次のようなものである。
紫式部の「源氏物語」を読んで、光源氏に恋をした少女がいた。母親が光源氏は架空の人物であると説明しても聞き入れず、光源氏に会いたいと想いを募らせた少女はついに紫川に身を投げた―。
若宮大通を東に進むと若宮八幡社に至る。折しも若宮まつりの最中で、境内では神社の宝である山車「福禄寿車」が出てからくり人形の舞を披露していた。
沢井さんによると、若宮八幡社は戦前の映画「残菊物語」(溝口健二監督)の舞台になっている。
「残菊物語」は歌舞伎役者尾上菊之助とお徳の悲恋物語。お徳との恋に反対されて勘当された菊之助は旅回りの一座に入り、若宮八幡社境内の「末広座」で地方巡業の舞台に立つ。
お徳は末広座の賑やかなお囃子が流れる中、境内の連理稲荷で手を合わせて、菊之助との別れを決意する。
連理稲荷は本殿正面に向かって右手、都心とは思えぬ鬱蒼とした木立ちの中にある。2本の木の枝が連なる連理木を祀る連理稲荷は縁結びの神様だが、そこで身を引く覚悟をするお徳の気持ちが悲しい。
恋の伝説街歩き、最後は広小路に戻って朝日神社―。
ここはアララギ派の歌人・原阿佐緒(1888-1969)にまつわる話が残る。
宮城県の素封家の家に生まれた原は与謝野晶子に認められた美貌の歌人だが、同門の歌人で日本を代表する理論物理学者の石原純と恋に落ちる。原にはすでに2度の離婚経験があった。石原の 才能を惜しんだ周囲の反対を押し切って2人は同棲するが、やがて破局。
沢井さんによると、その後、原は雇われマダムとして東京、名古屋、大阪と渡り歩く。「40歳近くだったが、美貌は衰えず、モボ、モガが多数彼女の店に訪れた」という。名古屋の広小路に「アサオ」という名の店を出したのは昭和初期。「カウンターに10人も座ればいっぱいという小さな店だったが客が押し寄せたようです」と沢井さん。
原は店に出る前に近くの朝日神社に参拝するのが日課だったという。
原の代表作を最後に記しておこう。強烈な情念が伝わってくる歌である。
生きながら針に貫かれし蝶のごと 悶へつつなほ飛ばむとぞする
堀川文化を伝える会事務局(名古屋市中区役所まちづくり推進室)
電話 052-265-2228


























