三河湾に面した愛知県幡豆郡吉良町は歴史上名高い3人の男を輩出した。「忠臣蔵」の吉良上野介義央、小説「人生劇場」の作家尾﨑士郎、浪曲「荒神山の血煙」の侠客吉良仁吉―。地元では「吉良三人衆」と呼ばれている。町内には三人衆ゆかりの地など史跡が数多くある。地元の設置した観光コースがこのほど「吉良三人衆 歴史と文化に出会う径」として日本ウォーキング協会に認定された。写真がそのルート。少し見にくいかもしれないが、拡大してみてください。
2010年1月31日にはオープニングウォーキング大会が催され、大盛況だった。
私もオープニングに参加したが、生憎の天気で撮影が難しくなり途中で断念。2月16日に改めて三人衆の足跡を訪ねる旅に出た。
午前9時すぎ、名鉄名古屋駅発の急行列車を降りると、名鉄上横須賀駅前に笑顔が待っていた。「やあ、いらっしゃい」―。特別に案内をお願いした地元ボランティアガイド「吉良あないびとの会」の黒部五郎事務局長だ。
コースは上横須賀駅を起点にAコースとBコースがあり、全長28キロ。せっかくのウォーキングコースだが、効率的な取材のために秘密兵器を使うことにした。それがこれ―。
吉良町観光協会のレンタサイクル「赤馬Go!」だ。上横須賀駅など町内の5つの観光拠点に設置。吉良さん(地元では親しみを込めて吉良公をこう呼ぶ)は赤馬(農耕馬)に乗って領内を巡回したという言い伝えにちなんで赤く塗った自転車。「放置自転車のリサイクル活用です」と黒部さん。
「今日は伊吹おろしで風が強くなりそう。最後まで走れるかね」と黒部さん。「僕は大丈夫ですよ。黒部さんこそ大丈夫ですか?」「私は後期高齢者だが、毎日ジョギングやっとるで心配ない」。ハッハッハッと笑い飛ばして黒部さんはペダルを踏んだ。
ルートに従ってまずは駅近く、尾﨑士郎(1898-1964)の母校横須賀小学校に自転車を乗り付けた。
士郎は地元の裕福な商家の三男として生まれた。写真は後述の福泉寺本堂にある士郎の肖像。
横須賀尋常小学校(現横須賀小学校)を卒業後、県立第二中学(現岡崎高校)から早稲田大学高等予科に進学。雄弁会に所属し在学中から社会主義者の堺利彦らが設立した売文社に入社。昭和8年(1933)に都新聞で自伝的小説「人生劇場(青春編)」の連載を開始。2年後に出版されベストセラーとなる。その後も戦前戦後を通じて歴史小説、ユーモア小説など多数の著作を残した。「人生劇場」は何度も映画化され任侠映画路線の口火ともなった。相撲好きで知られ横綱審議委員会委員も務めた。
横須賀小学校には士郎が59歳(昭和32年)の時に雑誌上で10歳の息子俵士氏に宛てた生前の遺書の一部を刻んだ碑がある。教頭先生にあいさつして拝見する。
「しかし、そこでくじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ」
男らしい、いい言葉だ。同校には生原稿の写しが残っていた。全文はさらに泣ける。
生で読みたい人はこのシリーズ最後で紹介する尾﨑士郎記念館で読んで欲しい。「ここの児童は毎朝登校時に碑文を唱和します」と黒部さん。卒業後にくじけけそうになったら思い出して欲しいな。
赤馬Go!を駆って北西に向かうと左手に公園が広がる。その名も「人生劇場公園」。吉良高校の跡地を整備したコミュニティ公園。園内には士郎の銅像やモニュメントなどが多数ある。
公園と道路を挟んで士郎の生誕地がある。士郎が生まれた頃、尾﨑家はこの周辺に広大な敷地を構えていた。「尾﨑士郎先生誕生地」の碑の奥にあるのは地蔵堂で、かつて士郎の父の妹が住んでいた。士郎も帰郷すると必ず立ち寄って村の若い衆と酒を酌み交わしたという。
地蔵堂前には地元の顕彰会が建てた石碑があった。「今日我存 存此処 士郎」と士郎の言葉が刻まれている。「戦後、帰郷した士郎さんを歓待してくれたふるさとの人々の温かさを表現したものといわれています」と黒部さん。
石碑の横にひっそりと美しい石が立っている。黒部さんが「見ようによっては観音様にも見える。士郎さんの父が持ってきたもので大悟の石といいます」と教えてくれた。
地蔵堂向かって右手には士郎の父が局長を務めた横須賀郵便局の建物がかつて建っていたという。「地蔵堂の向こうにも尾﨑家の敷地があり、大きなイチョウの木があったようです。士郎さんの父は士郎さんをそこに登らせて度胸をつけさせたといいます」
続いて生誕地近くの源徳寺に。三人衆のひとり、吉良仁吉(1839-1866)の墓所だ。
仁吉は幕末の侠客で、本名・太田仁吉。祖父が江戸の武士で、浪人となって吉良に流れ着き源徳寺の寺男になった。180センチ、96キロの巨漢であったという仁吉は清水の次郎長と兄弟盃を交わし、26歳のときに郷里で吉良一家を構えた。慶応2年(1866)に伊勢鈴鹿郡の荒神山の戦いで死亡した。仁吉の墓は一周忌に次郎長が建立した。
この戦いは桑名の穴太徳に縄張りを奪われた伊勢・神戸の長吉が仁吉に助勢を求めてきたのが発端だが、2ヶ月前に嫁となった仁吉の妻キクは穴太徳の養女だった。仁吉は義理のためにキクと離縁して長吉に助勢した。義理と人情の板挟みとなった吉良の仁吉の物語は浪曲、講談など大衆芸能の題材となった。「人生劇場」に登場する吉良常は仁吉の血を引く侠客という設定。
墓の脇には「かち勝石」が売られている。墓石を削って勝負事のお守りとする者が後を絶たなかったことから、その代わりとして販売するようになった。
以前、私はある願い事をかなえるために「かち勝石」を授かった。願いがかなったので今回はお礼参りでもあった。
源徳寺のすぐ近くに尾﨑士郎の墓所・福泉寺がある。尾﨑家代々の墓から少し離れて士郎の墓がある。
刻まれた字は友人の作家今東光のものである。(おらが殿様編に続く)
問い合わせ
吉良町観光協会
電話 0563-32-2157
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加藤俊男 | 2010年3月 1日 17:53 | 返信
吉良三人衆 歴史と文化に出会う径。
地元ボランティアガイド「吉良あないびとの会」の黒部五郎事務局長のユニークで元気なガイドは健在でしたか!
歴史の裏側にも魅力があり、素晴らしい観光資源ですね!
続編を期待しています。
黒部さんはご案内の先々で観光客や地元の方々に声をかけて場をなごませておられました。上横須賀駅では帰りの電車が出発するまでお見送り頂きました。これまでも各地のボランティアガイドの方々にお世話になってきました。ボランティアガイドの方々のパワーが地域の観光の「現場」を支え、活性化させていると肌で感じています。ガイドさんとの出会いは一期一会。旅の醍醐味でもあります。各地のガイドボランティアの皆さんには今後もお世話になると思います。よろしくお願いします。