江戸情緒・下町春歩き~名古屋・円頓寺商店街界隈(子宝編)

投稿者名 : 長坂 | 日時 : 2010年02月22日 14:12

 名古屋を代表する商店街といえば大須(中区)だが、江戸時代の風情を残すシブい商店街として最近人気なのが円頓寺(えんどうじ)商店街。しっとり、ほっこり、癒し系の商店街をぶらぶら歩いた。(2010年1月9日取材)

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 名古屋市営地下鉄の丸の内駅から名古屋駅方面(西)に向かう。ダラダラとゆるい坂を下ると堀川にかかる五条橋。そこを渡ると円頓寺商店街の入り口だ。

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 名古屋商店街連合会によれば円頓寺商店街の歴史は、江戸時代に遡るという。iroiro 109.jpg

  承応9年(1654)に創建された長久山圓頓寺の門前町がルーツだ。五条橋は清洲の五条川にあったものを慶長15年(1610)の「清洲越し」で移されたもの。商店街は明治20年代以降、東海道本線全通や市電や瀬戸電など周辺交通網の整備で発展、大須、栄と並ぶ名古屋有数の繁華街になったそうだ。東西に続く商店街は円頓寺、円頓寺本町、西円頓寺の三つの商店街に分かれているが、今回ぶらついたのは東端の円頓寺商店街。

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 さて五条橋を渡ってすぐ、堀川沿いに南北に走る道がかつての美濃路(現・大船町通)。そこを左に折れるとまもなく連子格子の古い建物が見えてくる。尾張藩の御用商人を務めた伊藤家の住宅だ。

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 道を隔てた堀川沿いに蔵を建て、堀川の水運を利用して商売をした。松坂屋の伊藤家と区別するために通称「川伊藤家」と呼ばれる。建物は江戸時代に建てられたもの。円頓寺商店街界隈には、戦災をまぬがれたこうした古い建物が数多く残っている。
 旧美濃路から一本西の、南北の道に入ると白壁の土蔵が並ぶ。四間道(しけみち)だ。元禄13年(1700)の大火で町屋などが焼失、これを機に防火対策として道幅を4間(約7メートル)に拡張したという。四間道界隈は名古屋市の町並み保存地区に指定されている。


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 四間道の南端にある浅間神社で面白い狛犬を見つけた。口をつぐんだ方の吽形(うんぎょう)の方の足元に小さな狛犬がしがみついている。

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 父親である阿形の狛犬に怒られた子供の狛犬がびびって、母親(吽形)にしがみついているようにみえる。寄進者は地元出身の伊藤萬蔵。明治時代の米商人で、全国の寺社に石像物を寄進し続けたという。
 土蔵を見ながら四間道をぶらりと歩いて商店街に入る。

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 履物屋さん、喫茶店、せんべい屋さんなどが並ぶアーケードの下を歩いていくと長久山圓頓寺。

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 承応3年(1654)創建の日蓮宗のお寺。本堂脇のお堂には鬼子母神像が安置されている。
 尾張藩にゆかりの像である。初代尾張藩主徳川義直と正室・春姫には子がなかった。そこで京都の朝廷に仕える「天下一の美貌」とうたわれた17歳の少女に白羽の矢が立つ。この少女こそ、のちの側室・貞松院。貞松院は2年後に義直の子・鶴姫を出産。その貞松院が鶴姫の守護神にと寄進したのが、この鬼子母神像だ。鬼子母神は名古屋城天守閣棟木の余材で刻まれたと伝えられる。毎月18日に公開されている。商店街には貞松院の下屋敷跡がある。
 子抱狛犬に鬼子母神...。商店街散歩は、なにやら子宝信仰巡りの様相を呈してきた。商店街から路地に入ると大きな屋根神様を見つけた。

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 屋根神は疫病や火災よけに屋根の上に小さな社を祀るもので名古屋市西区に多く見られる。戦前まで1000以上あったといわれるが、新築などで姿を消し、現在は150ほどという。

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 屋根神様のある角を曲がると突き当たりに子守地蔵堂があった。約120年前に地蔵堂から約20メートルの地点で井戸を掘ったところ地蔵が発見されたという。地蔵は約250年前、安政年間の作で事故により埋まったものだった。発見後、地蔵堂を建てて祀った。子守地蔵と呼ばれ近隣の信仰を集めている。

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 お参りを終えると、お腹がぐうと鳴った。そろそろ昼飯の時間だ。(幻し編に続く)

  四間道については愛知県観光ガイドにも紹介されています。


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