美浜町の新名物になるか!? 噂の「源義朝御膳」を食す!

(取材日:2011年12月1日)

◆美浜町で最期を迎えた武将・源義朝
2012年1月からNHKの大河ドラマ『平清盛』がスタートします。主役・平清盛の親友であり、終生のライバルであったのが、源義朝(よしとも)。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の父親にあたる武将です。源義朝は1160年(平治元年)、『平治の乱』に敗れ、家来・鎌田政家の妻の実家である長田忠致(ただむね)を頼って現在の美浜町に逃げ延びてきました。しかしほっとしたのもつかの間、入浴中に長田忠致・景致(かげむね)父子の裏切りにあい、非業の死を遂げます(享年38)。

美浜町には、今も源義朝ゆかりの地が点在しています。彼の墓がある『野間大坊』。襲撃に遭い、命を落とした場所『法山寺(湯殿跡)』。義朝を討った長田父子がはりつけの刑に処された場所『はりつけの松』――。「源義朝と、ゆかりの地である美浜町を広くアピールしたい!」ということで、今回、美浜町観光協会旅館部のみなさんが一丸となって、新たな名物メニューを開発しました。『源義朝御膳』です。今回、その新作料理発表会があるということで、史跡めぐりとともに、一足お先に味わってきました。

◆義朝ゆかりの地を巡る
源義朝御膳をいただく前に、失礼ながら義朝さんについて何も知らないマツモト、史跡めぐりでにわか知識を入手しようと思います。まずは『野間大坊』から。
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野間大坊についての詳細は、以前『LET'S GO!あいち』で長坂さんが取材していますので、どうぞコチラをご参照ください。野間大坊では、特別に副住職による狩野探幽の「義朝公最期図」(複写。本物は国の重要文化財)の絵解きをしていただきました。
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義朝が長田家に到着した日には、カモ、ボラ、イセエビなどを使った、それはそれは豪華な御膳でもてなされたのだそうです。そして、湯殿でのお風呂も勧められ......。そりゃあ油断もしますよね。ちなみにNHK大河ドラマの『平清盛』で源義朝役を演じるのは、玉木宏さん。余談ながらお忍びですでに野間大坊に参拝に訪れ、お守りを購入されて帰ったのだそうですよ。

次にお邪魔したのが『法山寺(湯殿跡)』。義朝が殺害された場所です。ということは、このあたり一帯が長田家の敷地だったわけですね。解説してくださったのは、美浜町文化財保護委員会長の夏目さん(写真右)。
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「当時の湯殿は湯をはるタイプの浴槽ではなく、蒸し風呂だったのでは?と考えられています。そして湯殿は居宅の外にあり、離れていたんですね。義朝は、家来が着替えを取りにいったときに命を狙われたようです。それにしてもずいぶん家屋と風呂が離れていたんだなあと思わずにはいられませんが(笑)。歴史は、事実と後でつくられたものとがあります。史実を調べると辻褄が合わない部分も多いんですが、それも含めてロマンとして楽しんでほしいですね」と夏目さん。

なるほど。それも一理ありますね。神経質に事実を追究するよりも、マツモトのような素人にとっては、「きっとこうだったんじゃないかな?」とさまざまな妄想を膨らませながら史跡を巡るほうが、はるかに楽しい! 

続いて案内していただいたのは、長田父子がはりつけの刑にされたという『はりつけの松』。
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「これからは源氏ではなく、平家の時代が来るのでは?」という鋭い読みのもと義朝を謀殺し、その首を京都の平清盛公のもとに持参した長田父子。しかし平家の反応は「主君を討つという行為はいかがなものか?」と予想に反して冷ややかで、彼らの褒美は、名目上の恩賞(「壱岐守(いきのかみ)」という官命)をもらうのみにとどまりました。その後の源平合戦では自らの行いを悔い、源氏側について手柄を立てた父子。結果、源頼朝に「褒美として美濃・尾張を与えよう」と言われますが、与えられたのは美濃・尾張ではなく"身の終わり"――はりつけの刑だった、と伝えられています。いくら手柄を立てたとはいえ、やはり背信行為は許されなかったわけですね。
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この松の木も枯れて、今は根元が残るのみですが「この松もどうやら3代目のようですよ」と夏目さん。その後には、この歴史を受け継ぐべく若松が控えていました。

野間大坊、法山寺、はりつけの松は、いずれも名鉄・野間駅から徒歩数分の距離にあり、歩いて巡ることもできます。義朝公の最期に思いをはせながら、ぐるりと散策してみてはいかがでしょう。

◆これが噂の源義朝御膳!
さて、いよいよお待ち兼ねの源義朝御膳です。源義朝御膳は、義朝にまつわる食材や色を使い、新たに開発されたランチメニューで、美浜町にある宿泊施設12軒でいただくことができます(2000円。前日までに要予約。2名から受付)。季節や施設によって使う素材に変化はあるものの、基本的には「つきかけの餅」「源平鍋」「小太刀の護摩木」が入っているのが特徴。この日は、野間大坊お隣の「やまに旅館」さんで発表会が開催されました。この日は、この3品のほかに、ふぐの唐揚げ、お刺身(マタカ)、ブリの照焼が並びました。とっても豪華!
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写真手前、3種類の口取りの下に敷かれているのが小太刀の護摩木。義朝公が死の間際に「せめて小太刀の一本でもあれば...」と叫んだとされることから、野間大坊の義朝の墓には、これをかたどった護摩木が山となって奉納されています。それと同じような小太刀の護摩木をここに使用。残念ながらこれは器の1つですので、お土産として持って帰ることはできません。
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お次は「つきかけの餅」――つまりはおこわです。義朝が、命からがらこの地にたどり着いたのは、年末の餅つきの日でした。とにかく空腹だった義朝は、餅ができあがるのを待てず、まだ米粒の多いつきかけの餅を、臼から手づかみで食べたと言います。以来、この地では、お餅を食べない風習があるのだそう(最近では食べるおうちも出てきたそうですが)。
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そして、源平鍋。和食においての源平とは、赤白を揃えることを言います。そして源氏の旗は白、平家の旗は赤であることから、今回、最初は白い鍋の汁がやがて赤へと変わっていくユニークな鍋を生み出しました。最初、温める前はこのように白い鍋なのに――
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グツグツ煮立ってくると、ご覧の通り、赤い鍋に変身! おもしろーい!!
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心なしか「罪」という文字が浮き出してるような気がするのですが、気のせいでしょうか...(汗)

ところでこれ、どうやって色を変化させているんでしょう??
「赤色の色素は、ビーツというカブのような野菜から。これを出汁に混ぜ、ゼラチンや寒天で固めたものを鍋底に仕込んでおくのです。それに熱が加わるとゼラチンが溶けて、赤くなっていくんですよ。ちなみに白い部分は、やはり出汁に豆乳や牛乳を混ぜたものです」とおっしゃるのは、メニュー開発に携わったメンバーの1人、旅館「柏屋」の畑中成仁さん。

な~るほど! 考えましたね。人工着色料は一切使っておらず、素材もとってもヘルシー。地元でとれた季節の野菜や新鮮な魚を、しゃぶしゃぶにしていただきます。一見辛そうですがまったくそんなことはなく、クセも嫌味もないさっぱりしたお味です。美味しいっ。
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この『源義朝御膳』、試験的に1年間限定メニューとして出すもので、当面は2012年12月末まで食べられる予定。鍋あり、ふぐあり、お刺身ありのこの内容で2000円だなんて、むしろお値打ちのような...。マツモトは完食しましたが、見事にお腹がパンパンになりました。お昼にこれだけを食べにきても、十分満足できるかもしれません。見て&食べて楽しめるユニークなお膳。歴史好きの方はもちろん、美味しいもの好きの方もぜひ、話のタネに一度ぜひ味わってみてくださいね。


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コメント

Author Profile Page マツモト からホテル小野浦 原義治への返信 | 2011年12月19日 09:57 | 返信
原さん、漁船クルージングに引き続き、取材の節には大変お世話になりました。
取材日もそうでしたが、美浜町のみなさんの義朝御膳に賭ける思いはとっても熱い!ですね。
大河ドラマ放映後には、きっと観光客も増えることと思います。
その後の展開も楽しみにしております。

ホテル小野浦 原義治 | 2011年12月17日 12:34 | 返信
義朝御膳ご紹介ありがとうございます。
旅館部としてのお迎え体制は、義朝に関する勉強会を12月~1月中に夏目先生による全5講義を行い、お宿にお越しいただいたお客様へ詳しくご紹介する予定です。
また、源義朝を語る推進協議会(仮称)にて史跡の更なる整備や義朝公の生涯を紹介するコーナーなども設けて、更なるおもてなしに勤めていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

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