(取材日:2011年2月6日)
江戸時代はじめの武士であり漢詩人でもある石川丈山(1583~1672)は三河国碧海郡和泉(現在の安城市和泉町)出身。隷書を日本で初めて取り入れ京都に詩仙堂を建てて終の棲家とし、作庭家としても知られる丈山。その生誕地、和泉に丈山の風雅な世界を再現した丈山苑という詩泉閣と庭園からなる施設がある。
詩仙堂には行ったことがあったが、安城に詩仙堂のイメージを再現した庭園があるとは知らなかった記者。おまけに安城市歴史博物館学芸員の天野信治さんによる勉強会「丈山に親しむツボ」が開催されるとのこと。丈山について無知な記者にはもってこいのチャンスなので、あんくるバスに乗って出かけることにした。
JR安城駅からあんくるバスに乗り30分ほど。和泉丈山苑のバス停からすぐのところに丈山苑がある。こちらは北入口。門から先は小高い丘のようになっていて、入口からして浮世離れした雰囲気。![]()
先へ進むと、なだらかな坂に沿って流れるせせらぎが。水の音が大きく聞こえるほど、辺りは静けさに包まれている。![]()
勉強会が行われた詩泉閣入口。左側の受付で入苑料100円を支払い、広い邸内へ。![]()
書院から庭を眺める。京都詩仙堂の前庭をイメージした唐様庭園。火鉢に当たりながら庭を眺めていると、ここは安城だったよな?と疑いたくなるほどの優雅な雰囲気。どこからかコーン!と鹿脅しの音が聞こえてくる。![]()
書院の掛け軸は丈山が筆をとった「月画讃」の複製。本物は安城市歴史博物館に所蔵されている。![]()
詩仙の間には三十六詩仙(丈山が林羅山と選定した中国の詩人たち)の額(複製)が掲げてある。狩野探幽の画、丈山の賛と伝えられているとのことだ。![]()
詩仙の間の奥にある広間から見た庭園。こちらも詩仙堂の雰囲気を再現したもの。![]()
こちらは北側の広縁から見た枯山水蓬莱庭園。京田辺市にある酬恩庵一休寺の北庭を模した蓬莱庭園(石組みで水の流れを表現する禅宗寺院独特の庭)。![]()
せっかくなので抹茶をいただくことに(300円)。庭を眺めながら一服していると、せわしい毎日を忘れるほど静かで落ち着いた気分になってくる。![]()
庭を散策する前に勉強会の時間がやってきた。毎年1回開催される勉強会(料金は入苑料の100円のみ)で、今回は5回目。参加者は13人。講師の天野さんが丈山の恵まれた人脈を中心に、その生い立ちと偉業を分かりやすく解説してくださった。
丈山は代々松平家(後の徳川家)に仕えた三河武士の家に生まれ、16歳のときに徳川家康の近習として仕えたものの、大坂夏の陣で軍令にそむき、1回目の隠棲生活に入った。
一旦は学問の道に生きながらも再び広島・浅野家に仕官した理由などなかなか表だっては論じられない話に記者も興味津々。広島から京都へ行く際は、有馬温泉に行くと言ったまま戻らなかった話や、望郷の念を漢詩に込め詠みながらも、結局安城に戻ることを許されなかったことを知り、これまで遠かった丈山という人物が急に近くに感じられるような気がした。![]()
あっという間の1時間半が過ぎ、丈山苑探検を続けることに。
こちらは詩仙の間に掛かる石川丈山肖像の掛け軸。![]()
嘯月楼(しょうげつろう)へ登る階段。ほぼ垂直?に見えるほど急な階段なので、用心して登るものの、怖い!ここへ来るのが10年遅れていたらもう登れなかったかもしれない。![]()
円窓越しに見る庭園。その名の通り、月を詠むにはぴったりの空間だ。
苑内のところどころに漢詩碑が置かれている。これは添水(鹿脅し)のことを詠んだ漢詩の一節。![]()
池と四阿(あずまや)。四季ごとに美しい表情を見せるであろう美しく静かな風景。![]()
代表作とも言われる「富士山」の石碑。![]()
詩泉閣入口から見た風景。望京橋と名付けられたこの橋の踏み板は29枚。京都から遠く離れた和泉までの距離、29里(115キロメートル)を表している。![]()
記者は今回、初めて丈山苑を訪ね、その美しさと静けさ、落ち着いた雰囲気のとりこになった。それは丈山苑は建物が立派なだけではなく、きちんと手入れされた庭やお手洗いの清潔さ、ところどころにさりげなく飾られている一輪の花など、心も行き届いた施設だったからだと思う。
丈山苑では季節ごとの楽しいイベントを行っている。今後の予定は、3月4、5、6日につばき盆栽展。3月19日午前11時と午後2時からは黒野宏道さんのオカリナコンサート、4月3日午後2時からはコカリナアンサンブルドルフィンによるコカリナコンサートが開催される。
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