鳥居から拝殿まで、参道上に張られた約120メートルの麻縄。そこを噴出花火が電光のように走る―。豊川市の豊川夏まつり=豊川進雄(すさのお)神社例大祭=で奉納される愛知県無形民俗文化財の「綱火」である。
祭りは毎年7月20日に近い金、土、日曜日に開催。今年は7月16~18日に行われ、綱火は17日に奉納される。綱火は氏子の代表たちによって手づくりされる。かつては製法が秘伝とされた神秘の煙火。祭り準備の進む現地を訪ねた。(2010年7月1日取材)
名鉄・豊川稲荷駅で降りて、駅前の入り組んだ商店街を抜けると目指す豊川進雄神社があった。社伝によると、同神社は大宝元年(701)に現在地から約500メートル南にある元宮(現・稲田神社)に牛頭天王社として進雄命(すさのうのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)が祀られたのが始まり。天徳元年(957)に豊川西町の現在地に移転した。
「進雄神社の氏子は現在25町約1万2000人。例大祭は綱火のほかにも笹踊りや手筒煙火、山車、大筒煙火などの行事があります」
そう話すのは同神社煙火保存会役員の藤井孝男さん。
豊川連区の星野史郎連区長と堀内昭示副連区長とともに取材に応じてくれた。写真が笹踊りである。
綱火が文献上登場するのは万治3年(1660)。その文献「花火縁起録」によると、この年に小笠原四郎右衛門義忠が衰退していた煙火を再興した、とある。地元の若衆に花火の製造法を教えて、彼らを東西2組に分けて花火を競わせたという。
「綱火は現在も手づくりで、25町を東西に分けて競い合います。私が小さい頃は、祭りが近づくと東西の子供は会話をしなくなったものです」と藤井さん。競い合いによって衰退を防ぐという智恵だったようだ。
例大祭はかつて「宮座」と呼ばれる村の有力者7家によって行われてきたが、現在は「本会所」と呼ばれる東西各15人の長老が行う。綱火を作るのも本会所のみに許されている。本会所は欠員が出ない限り、なることはできない。本会所の中でも会合の場所などを提供する役割が「会所当番」で、西の本会所は藤井さんの家を会所として利用している。
「私の父が本会所を務めてきた。祭りが近づくと父が家に居なくなったことを覚えています。私が本会所になったときは、なりたくてもなれない人たちがいる中で選ばれたことに責任の重大さを感じました」(藤井さん)
さて綱火には7種類ある。「露払い」(清めのための初めの綱火)「遣り」(単発で拝殿に直進する)「行別れ」(綱の中間点まで直進後、直進と戻りに別れる)「行戻り」(拝殿まで直進し、元に戻る)「逆追い」(親の綱火が子の綱火を拝殿まで運び、拝殿から子の綱火が1発ずつ帰ってくる)「車火」(中間点で止まり左右に回転したあとに元に帰ってくる)「追綱火」(65発が連続して点火して走る。綱火の最後を飾る)
これが「行別れ」―。
これは「行戻り」―。
こちらが「車火」―。
そしてこれが「追綱火」だ―。
綱火の製作については次回に。(2に続く)
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