「長篠の戦い」の戦場を巡る(2)~新城市・設楽原

(取材日2010年5月1日)
長篠城址から設楽原まで来ました。
設楽原に現れた信長・家康連合軍を前に、武田軍は医王寺で軍議を開き、進撃を選択します。
武田軍は滝川を渡り、連吾川を挟んで連合軍と対峙。
連合軍は連吾川の西に柵を構築し、ついに設楽原の決戦が始まります。
戦いは武田の進軍を、連合軍の足軽隊が鉄砲で迎えうち、大勝利を収めました。
一説には信長はこの戦いで3千挺の鉄砲を用意したといわれています。
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「設楽原歴史資料館」です。
文化的価値の高い火縄銃などの展示資料を購入し、4月29日にリニューアルオープンしました。
「日本一の火縄銃」をテーマに、戦国時代から江戸時代、幕末にいたるまで様々な種類の鉄砲などを紹介しています。
「長篠設楽原古銃研究会」の菅谷哲也さんと川口静夫さんに館内を案内していただきました。
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これだけ並ぶと壮観です。
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時代、用途にあわせて大きさ、形もいろいろです。
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内部構造がわかるよう分解した銃も。
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こちらはキセルや小刀に見せかけた銃。
どんな人が使ったのでしょうか。
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地元の新城市立東郷東小の子どもたちが作った甲冑です。
7月4日の「設楽原決戦場まつり」では実際に子どもたちが身につけるのだそうです。
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まつりでは巨大な松明を燃やす「火おんどり」で戦没者の霊を供養します。
人形が持っているのは、火をつけるための細い松明。
後ろにある太い松明を抱え、八の字に回します。

資料館には設楽原の領主の子で、幕末に外交官として活躍した岩瀬忠震のコーナーもあります。
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川口さんの着ている作務衣ですが、実は甲冑の下に着るものなのだそうです。
甲冑と一緒に撮影させていただくと「甲冑姿も撮りますか?」。
お願いしました。
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あらためてご紹介します。
菅谷さん(左)と川口さんです。
馴れた人でも装着するのに30分近くかかります。
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実際に火蓋を切ったり、引き金を引いて見せてくれました。感動です。
本物の火縄銃の重さは約5㎏だそうです。
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筒(銃身)に弾を込め、カルカ(サク杖)で押し込む。火蓋を開け、引き金を引くと火ばさみにつけられた火縄が火皿に落ちる。すると火皿の導火薬が点火し、中の火薬が爆発する。
川口さんは一連の動作をよどみなく軽やかに進めますが、記者にはとても覚えきれそうにありません。
銃身を45度の角度で空に向けているのは「礼射」。
お祭やイベントの時も、戦没者の供養のため、必ず最初に礼射をするのだそうです。
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「馬防柵」の後ろから構えると、このようなスタイルになります。
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先ほどの優しい笑顔の川口さんが、何とも凛々しくみえます。
背中ののぼりは一人で取り外しが出来ないそうです。
格好いいですが、相当大変だと思いました。
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資料館の横には戦の後、地元住民が戦場に散乱する武者の亡骸を埋葬し、弔った「信玄塚」があります。
これは武田軍の死者を弔った「大塚」。
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こちらが連合軍の死者を弔った「小塚」です。
信玄塚の広場で「火おんどり」が行われます。
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「設楽原をまもる会」の皆さんが再現した馬防柵を見に行きました。
これなら馬では飛び越せないのかもしれませんが、前から騎馬隊が突進してきたら相当怖いと思います。
この日は天気が良く、ここはいい風が吹くので、柵の後方でピクニックをしている家族がいました。
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両軍の間を流れていた「連吾川」です。
記者の予想より細い川でした。
騎馬隊の進軍を苦しめたのは川幅ではなく、川の両側に広がる田んぼのぬかるみだったと考えられているそうです。
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ここで多くの命が失われました。
写真右は、戦場で死んだ馬を弔うために立てられたものです。
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街を歩くと道の脇などにたくさんの仏像を見つけることができます。
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「東郷中学校」の近くから徳川家康の本陣に向かいました。
「断上山古墳」の看板もあります。
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ありました。家康物見塚の後ろが古墳です。
積み重なっていく歴史に溜息が出ます。

信長の本陣はさらに後方の山にあるとのこと。
残念ですが今回はあきらめます。
「戦国ぐるめ街道」のこともありますので、また来たいと思います。

ぜひ皆さんも長篠城址、設楽原を訪れ、歴史に思いを馳せてください。


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コメント

Author Profile Page タケモト から小牧やっとかめへの返信 | 2010年5月 6日 10:45 | 返信
コメントありがとうございます。長篠城址史跡保存館でも設楽原歴史資料館でも「最近の研究では三段撃ちはなかったのではないか、武田方は騎馬軍団ではなかったのではないかとの説が有力になっています」と説明していらっしゃいました。長篠を歩きながら説明を聞くと「信長が画期的戦法で大勝した歴史」ではなく「大規模な戦いで両軍に犠牲者が出た歴史」を伝えている印象を強く感じました。「供養」の気持ちがベースにあるから、娯楽としての観光以上の深い感動を受けることができたと思います。また気になる記事がありましたらコメント宜しくお願いいたします。

小牧やっとかめ | 2010年5月 3日 16:27 | 返信
 GW中には、「みのかも文化の森」と「きそがわ日和」(旧太田宿)に出かけましたが、このブログの範囲外なので詳細は書きません。
 さて「長篠の戦い」ですが、最近の研究によると、鉄砲の三段撃ちはなかったとか、馬防柵は他でもやっていたとか、そもそも武田勢に騎馬軍団は存在していなかったとか、今までの常識を覆される結果が明らかになっているそうです。
 そういう説明が現地の案内板にあったかどうか、教えてください。  

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