(取材日2010年5月1日)
GW、皆さん各地におでかけかと思います。
まだ連休後半に行くところを決めかねている方もいるかもしれません。
そんな皆さんにオススメしたい今日の記事です。
本日は5月5日に「長篠合戦のぼりまつり」が行われる新城市の長篠城址に行ってきました。
4月末にリニューアルオープンした「設楽原歴史資料館」も長篠城址の近く。
合わせて取材してきました。
ここは言わずと知れた「長篠の戦い」の舞台です。
ひとくちに「長篠の戦い」といっても、大きく「長篠城攻め」と「設楽原決戦」の二つに分けられます。
戦いの始まりは天正3(1575)年。
1万5千の兵を率いて長篠城を取り囲んだ武田勝頼に対し、21歳の若き城主奥平貞昌が500人の城兵とともに戦った攻城戦。
そして織田信長、徳川家康の援軍3万8千と武田軍が決戦を行ったのが設楽原です。
連休の本格スタートなので早朝に出発。
高速道路はなかなか混んでいましたが、豊川インターを降りてからはスムーズでした。
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「長篠城址史跡保存館」に到着です。
山内祥二館長にご挨拶してお話を聞かせていただきました。
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ここでは豊富な資料とともに長篠の戦いの経過を知ることができます。
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ろう城時に使っていた「血染めの陣太鼓」。
当時の戦の激しさを伝えます。
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褌姿で磔にされている人物は、戦いを勝利に導いた鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)。
武田軍の猛攻に耐え、城を守った奥平軍ですが、兵糧攻めでいよいよ苦しい状況になりました。
強右衛門は貞昌の命を受け、城から川を泳ぎ岡崎の徳川家康のもとまで援軍を求めに行きます。
これにより織田・徳川連合軍が動き出すのです。
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地図で強右衛門の泳いだルートを見ましたが、相当な長さです。
活躍を見せた強右衛門ですが、城に戻る過程で武田軍に捕らえられます。
城に向かって「援軍は来ない」と叫べば命を助けると持ちかけられましたが、承諾するふりをして城の近くに立ち、援軍が来ることを絶叫したといいます。そして武田軍によって磔刑となったのです。
強右衛門らが命がけで守った城跡を歩きます。
アメリカの「アラモの戦い(1836年)」が「長篠の戦い」に似ていることからテキサス州サンアントニオ市と交流が続き、アラモ砦跡のライブオーク(樫の木)の種子が送られ、植樹されています。
砦を守る戦いは似ていますが、アラモ砦の勇士150人は全滅してしまいました。
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樹齢100年のケヤキとモミの木の間を抜けた広場では、5月5日に開催される「第45回長篠合戦のぼりまつり」の準備をしていました。
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風を受け、はためくのぼり。
広場には長篠の戦いで構築された馬防柵。
芝がきれいに刈られています。
5日の「のぼりまつり」では火縄銃実演や合戦行列、和太鼓演奏や観光土産品展など様々な企画が行われます。
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写真は火縄銃実演の様子です。
ぜひ一度、生で観たいイベントです。
「長篠合戦のぼり」の詳細は下記のHPで!
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,3185,152,719,html
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長篠城址から強右衛門が磔になったという方向を見ました。川ははるか下方にあります。
磔死の碑と墓があるとのこと。山内館長に道を教えてもらい、行ってみることにしました。
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迷わずに見つけることができました。「鳥居強右衛門 磔死の碑」です。
木々が茂り、温かな木漏れ日が碑の上におちています。
碑の後ろの木だけは濃緑ではなく、優しい色の緑。違う木を植えているのでしょうか。
碑の前は田んぼが広がっています。
強右衛門の魂は人の働く様、たくましく育つ作物をいつでも見ることができます。
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磔死の碑の少し先にある「牛渕橋」から長篠城址の方角を見ました。
絶景ですが強右衛門は命をかけ、この風景を背後に、さらに遠くまで泳いでいったのです。
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強右衛門の墓は新昌寺のすぐそば。
静かに手を合わせます。
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「鳥居」はこの地域の地名になっています。
武田側の史跡も見てみましょう。
武田勝頼は長篠城址を見下ろす医王寺山に攻城戦の本陣を置きました。
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医王寺です。
お寺の前の広場に駐車場があるので、ここから歩いていくといいでしょう。
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本陣までは10分くらい。歩きやすい格好がいいと思います。
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到着。高い所が苦手な記者ですが、梯子を登ってみます。
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当時はかなり見通しがよかったらしいのですが、今は豊かな緑が生い茂っています。
きれいな空気をいっぱいに吸って下山。
続いて信長・家康軍と武田軍の決戦の場となった設楽原に行ってみます!
ですが、その前にご飯です。
保存館に「戦国ぐるめ街道」なるポスターがあったので、その中の一軒に行ってみました。
丁度、保存館のすぐ近くに「とくや」というお寿司屋さんがあったので入店。
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「いえやすロール」1575円です。
通常の大きさの海苔巻きをさらに刺身で巻いたボリュームたっぷりの一品です。
「崩して食べていいよ」と店長さんのアドバイス。
満腹になりました。さすが天下人の名を冠したメニューです。
戦国ぐるめ街道は18店舗が長篠合戦にちなんだオリジナル料理で参戦。
3種類のスタンプを集めると「センスのいい扇子」がもらえます。
「武田軍に食べさせたかった鳳来牛焼肉丼」「羽柴秀吉のゴマすり坦々麺」などユーモア溢れるメニューが揃っています。
戦国ぐるめ街道は来年3月までですが、スタンプラリーは扇子が無くなり次第、終了。
早速、のぼりまつりの日に食べてみてはどうでしょう?
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コメントありがとうございます。公共交通機関を利用した楽しみ方の情報をいただき、うれしいです。私も鉄道会社さんでも、バス会社さんでも観光客にとって利用しやすいルートがあれば、どんどん紹介したいと思います。長篠城址、設楽原はアクセスの苦労があっても、それを超える魅力がある場所。県内外、多くの方に行ってほしいです。また気になる記事がありましたらコメント宜しくお願いいたします。
かまやん | 2010年5月11日 14:38 | 返信
教科書にも載った「長篠設楽原の戦い」。
小生東三河の地に移り住んだ時に早速出向いた思い出があります。
(もう20年前のことです)
戦国武将の戦いの跡に思いはせたなぁ。
ただ。。。
この地域は公共交通機関では行きにくいんですよね。
最近見たんですが。。。
http://www.meitetsu.co.jp/hiking/higaeri/shousai/1199056_1316.html
こんなやつだと出かけやすいですよね。
あ、決して名鉄社員ではありませんので!
コメントありがとうございます。この取材の仕事をはじめ、愛知県がいかに多くの歴史の舞台になっているのかと驚いてばかりです。現地での感動が少しでも伝わるよう記事を書きたいと願っています。また気になる記事がありましたらコメント宜しくお願いいたします。
加藤俊男 | 2010年5月10日 18:43 | 返信
強右衛門らが命がけで守った城跡。
木々が茂り、温かな木漏れ日が碑の上におちています・・・・・。
優しい色の緑・・・・・碑の前は田んぼが広がっています。
強右衛門の魂は人の働く様、たくましく育つ作物・・・・・。
画像と解説、ブログの展開、素晴らしい情景が浮かびます。
武将観光は、魅力がありますね、武将の裏側も覗いてみたいものです。
コメントありがとうございます。当サイトがGWを楽しむのに少しでも役に立ったなら、うれしい限りです。三河地域の皆さんの暮らしに密着した情報は、在住のサポーターもいらっしゃる「三河の山里だより」に魅力的な記事が満載です。当サイトのトップページにバナーがありますので、こちらも合わせて応援宜しくお願いいたします。また気になる記事がありましたらコメントお願いいたします。
加藤俊男 | 2010年5月10日 08:29 | 返信
「鳥居強右衛門 磔死の碑。木々が茂り、温かな木漏れ日が碑の上におちています。・・・・・・強右衛門の魂は人の働く様、たくましく育つ作物をいつでも見ることができます・・・・・」ロマンチックで感性溢れる表現ですね!
「長篠城攻め」と「設楽原決戦」など、勇猛果敢な戦国武将の裏側、人物像にも興味がありますね!
武将観光は魅了一杯!生きたブログを期待しています。
県庁の★(クロボシ) | 2010年5月 7日 00:55 | 返信
今回の記事を見て、早速、5月5日の子どもの日に「長篠合戦のぼりまつり」へ出かけました。
当日は、私の住んでいる豊田市から作手高原経由で行きました。
高原は問題ないのですが、途中の道が急カーブの上りと下りで、大変な道のりです。
こういったところの山里に住んでいる人は、どうやって暮らしているんだろうと、ふと疑問を持った次第です。
で、本題の、火縄銃の実演ですが、火薬が爆発する際の音が大音量で、迫力満点です。
よく射手の人は、耳がやられないなぁと不思議なくらいです。
連休最後の日に良いものを見せてもらいました。
あのような井出達で、戦国武将は闘っていたと思うと、先人たちは、凄いです。