知多半島に本格的な春の到来を告げる半田市の山車祭りが3月20日~5月4日、市内10地区で開催される。愛知県の文化を代表する山車。中でも半田市は31台が現存する「山車の宝庫」だ。祭りでは各地区自慢の豪華な山車が引き回される。祭りを前に上半田(かみはんだ)地区で山車の組み立てと試し引きが行われると聞き、出かけた。そこには地区の山車と祭りを誇りとする、愛すべき人々がいた。(2010年2月28日取材)
「半田の春の山車祭り」とひとくくりで称されるが、そもそもは各地区ごとに行われる神社の祭礼である。そのラインナップは次の通り。
3月20・21日=乙川地区、4月10・11日=岩滑地区、岩滑新田地区、上半田地区(ちんとろ祭)、協和地区、成岩地区、西成岩地区、板山地区、4月17・18日=下半田地区、5月3・4日=亀崎地区(潮干祭)
このほか期間中、子供みこしなどが練り歩く春祭りが7地区で行われる。総称して「半田の春まつり」という。
名鉄知多半田駅前の通りを北に歩いていくと風情のあるレトロな路地がある。紺屋海道。染物屋が数軒あったことから名づけられた。
江戸時代、半田港が開かれるまでの間、千石船の出入する大野港(常滑市)への道として賑わった。地元が生んだ童話作家新美南吉も通ったこの道が上半田地区のメーンストリートだ。
家々の軒下に花餅が飾られた道を進むと、はっぴ姿の男たちが楽しそうに談笑しながら作業をしていた。
ここは上半田地区北組の会所―。この日朝から地区の男たちが集まって普段、会所に隣接した倉庫に解体・収納されている山車を取り出し、会所前の広場で組み立て始めたばかりである。
「やあ、いらっしゃい。何でも聞いて頂戴よ!」
柔和な笑顔で迎えてくれたのは上半田ちんとろ祭委員会の榊原孝副会長だ。
4月10・11日に行われるちんとろ祭は地元住吉神社の例大祭。宝暦年間(1751-1763)に同神社前に築造された宮池に舟を浮かべて行うようになった。半田の山車祭りの中でも優美さと豪快さを兼ね備えて異彩を放つ。
地区は北組と南組に別れており、それぞれに山車と巻藁船(ちんとろ船)がある。祭り当日は双方の山車が練り歩き、宮池に双方の巻藁船が浮かべられる。船の上の舞台では子どもが三番叟を舞う。
夜になると巻藁船の365個のちょうちんが灯り、幻想的な光景となる。
もともとは津島天王まつりに倣った船祭りだったが、周囲に影響されて山車が造られたといわれる。三番叟を舞うのは両組から1、2年毎に1人ずつ選ばれた小学1年前後の男児。北組は力強く男性的に、南組は優しく女性的に舞う。「三番叟を舞う子は神の子。祭りの間は地べたに足を付けさせない。昔から『三番叟を舞う』ではなく『三番叟を踏む』という。悪霊を踏みつける意味があるようだ」と孝副会長。
12年間、選ばれた子に舞を教えている榊原基晴さんは「私も昭和48年に三番叟を踏んだが、初めて地区の仲間入りができたと感じた」と話す。
さて山車である。この地区では山車に敬意を表して「おっくるま(御車)」とも呼ばれている。
上半田地区北組の山車は「唐子車(からこぐるま)」という。弘化3年(1846)に創建されたが、大正11年(1922)に成岩東組に譲渡。現在の山車は同12年に建造された2代目。
「昔は山車が古くなると近隣に譲渡した。しかし梶棒の下の置台輪から下は初代の材料が残されている」と孝副会長。
最上部の「上山」が伸びたときの高さは7メートルで重さ4トン。半田の山車の特徴はその豪華な彫刻やきらびやかな大幕・水引の刺繍にある。
唐子車の彫刻は半田の名匠・「彫常」こと初代新美常次郎の作品。
写真で男性が磨いているのが山車の正面下部の「壇箱」と呼ばれる部分。ここの彫刻は「神功皇后の三韓征伐宝物受取り」。
その下の「蹴込み」という部分には「唐獅子に手まり」が彫られている。
「まりが網状の彫刻の中にあるだろう。どうやってまりを入れたのか?子供の頃に不思議に思ったもんだ。網の目から彫刻刀を入れて彫ったというからすごいよな」
彫刻をのぞき込んでいると男衆がそばにきて自慢げに話した。
壇箱と蹴込みの間の「猫足」という小さな隙間にも黒檀を細かく細工した「鼠の宝引き」の彫刻がある。写真では分からないが、かなり小さなもので、素人の私にも名匠・彫常の高い技量が解る作品だ。
山車の横の大幕は緋羅紗の無地だが、その上部の水引は濃緑地に白鷺の刺繍。
後部の追幕は緋羅紗の無地に鳳凰などの金刺繍が施されている。そして上半田北組の山車の自慢は山車の各所に付けられる飾り金物。
「純銀で総重量は150キロ!」と孝副会長が教えてくれた。
「まあ、ビールでも飲んで、飲んで!」
会所に集まった男たちは酒盛りをしながらしきりに缶ビールを勧めてくれる。組み立てを担当する若い衆は酒を控えて、山車の骨組みとなる白木によじ登り慎重に装飾品を取り付けていく。
組み立て終了まで、まだかなり時間がかかりそうだ。さらなる山車文化の歴史を紐解くため、私は市内にある半田市立博物館に向かった。そして唐子車をめぐる感涙の物語も次回に―。(試し引き編に続く)
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