(取材日:2009年12月5日)
◆陶芸も、グラフィックデザインも。何でもできちゃうスーパー画伯
名鉄・美浜緑苑駅から、徒歩5分。閑静な住宅街の中、伊勢湾を見下ろす高台に立つ「杉本美術館」。名古屋市生まれの画家、杉本健吉(1905年~2004年)の作品を収蔵した美術館です。
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杉本健吉は98歳で亡くなった画家ですが、ひとことで画家とくくってしまうのがはばかられるくらい、ありとあらゆるジャンルでユニークな作品を遺しています。たとえば、美術館の建物をよ~く見つめると......屋根に、鳥がとまってる。この陶器の鳥も、健吉画伯の作品です。
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遠くにいてどんな表情をしているのかはわかりにくいのですが、美術館エントランスを入ってすぐ左側のテーブルに、彼らの仲間がいました。これは、ハトかな? ラブリーです。胸きゅん。
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さらに美術館に使われているロゴマーク、そしてエントランス周辺に使われているステンドグラスも、じつは健吉翁の作品なのです。なんて多才な画伯!
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展示室にたどり着くまでに、すでにこの有様。展示室に入ったら、いったい何が待ち受けているんでしょうか? 楽しみすぎる。
◆ところで杉本健吉とは、どんな人?
杉本健吉は、1905(明治38)年、名古屋市に生まれました。20歳で岸田劉生の門下生になって絵画を描く一方、生活のためにグラフィックデザインの仕事もたくさんこなしていました。有名なところでは名古屋市営地下鉄、常滑市のマーク、青柳ういろう、名鉄百貨店の初代の社章、御園座のどん帳、大須観音の鐘などが、彼の作品です。若い頃に東京に出たこともあるのですが、生活苦のために名古屋に戻り、その後はずっと愛知県から出ずに"MADE IN AICHI"にこだわって制作を続けていたのだそう。そのため、那古野神社、東山動物園、新堀川堀留など、名古屋の風景を描いた作品も多く残っています。
また、こんなエピソードもあります。1997年の名古屋能楽堂開館にあたって、鏡板(舞台背景)を依頼された杉本健吉が描いたのは、若松。能楽堂の鏡板といえば老松が定番とされているため、当時は伝統を重んじる人々を中心に「いかがなものか」と物議を醸しました。しかし健吉翁は、「新しい能楽堂なのだから、元気がよく、若々しい松のほうが似合う」「伝統に決まったものはない」とバッサリ。現在、名古屋能楽堂の鏡板は、若松と老松が1年ごと交互に配置されています。余談ながら、筆者が先日名古屋能楽堂に出掛けたときは、鏡板はラッキーにも若松。舞台がぱあっと明るく、より生き生きと見えたことを記憶しています。
美術館エントランスの壁をふと見上げると、そんな健吉翁の気概を示すような幡が掲げられていました。
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◆見習いたい! 困難さえも楽しむポジティブ・シンキング
杉本美術館で12月29日(火)まで開催されているのは『七転八起 ~窮するもまた楽し~』展。副題にあるように、杉本健吉は、たとえ逆境や困難に出会っても、それをプラスの方向へと昇華させ、新たな自分を楽しみながら作品づくりを続けた人でもあります。この企画展では、逆境から生まれた4つの作風「図案」「墨絵」「左手」「幡」をキーワードに、作品を展示しています。
観る人の心を明るくする、心あたたまる作品を多く生み出した健吉翁ですが、人生順風満帆だったかというと、必ずしもそうではありませんでした。
幼い頃から絵が好きで、本当なら小学校卒業後は美術学校に行きたかった健吉。しかし経済的な理由からその道をあきらめて工業高校へ進学し、「図案」(現在の「グラフィックデザイン」)を学びます。当時は不本意ながら身につけた図案のノウハウ。ところがこれが後々生活の糧となり、自由な作品づくりを支えることになったのです。
また、「墨絵」シリーズは、絵の具が入手困難だった戦時中に生まれたもの。"こんなときに芸術だなんて"というムードの中、やっとの思いで手に入れた墨やちびた鉛筆を、大事に大事に使いながら素描作品を生み出しました。
私・マツモトがとくに心引かれたのは「左手」と「幡」シリーズ。
「左手」は、84歳のときに利き手である右手を骨折し、左手による作品づくりを余儀なくされた時代のものなのですが、その状況すらも楽しみ、 "杉本左吉""左甚娯郎"などと名乗る画伯。絵はもちろんのこと、そこに書き添えられたひとことがどれも味わい深く、何度も笑ってしまいました。
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『左手誕生』では、お釈迦様、ちゃーんと左手挙げてます。ほかの作品も、よく見ると落款が「左吉」になっていたり、充電の文字の先がコンセントになっていたり......。遊び心満載。
「健吉さんは、なかなかこう、人を食ったような仕掛けをするところがありましてね(笑)。充電の右隣の作品がそうなんですが、ご自身が蛇年生まれなので、ときに作品サインをL吉にして(LEFTのL)そのLを蛇っぽく描いてみたり、このお面の作品なんかは一見、銅版に緑青がついているように見えるんですが、じつは粘土に水彩絵の具でそれ風に見せているだけで。作品をじっくり眺めると、わかる人にしかわからないような、小さな遊び心に気づくことも多いと思います」とおっしゃるのは、学芸員の鈴木威さん。ちなみに問題の緑青風に見えるお面作品とは、これのこと。......ああ、たしかに!
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そのほか、螺鈿(らでん)を使っているように見えるけれども、じつはそれ風に絵の具を塗った"なんちゃって螺鈿"作品や、普通の地球儀かと思いきや、よく見ると海で泳いで(溺れて?)いる健吉画伯が描かれている作品などもありました。それがどこにあるのかはぜひ、美術館で探してみてくださいね。
95歳になり、身体が動かなくなってからも机上で制作し続けた「幡」シリーズに至っては、造形のかわいさはもちろんのこと、どれも甲乙つけがたいパンチの効いた一言に、心をとらわれっぱなし。ちなみに杉本画伯、作品づくりの素材を、東急ハンズの文房具売り場あたりでよく入手なさっていたんだとか。そう言われれば明らかに紙皿を使っているものもあるし、「余生らくがき」と書かれた作品の縁どりには金の丸いシールがたくさん貼ってある。身近な素材をもどんどん作品に取り込んでいく分け隔てのない姿勢......かなりステキです!
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◆毎月第一土曜日にはアトリエ見学も
杉本美術館では毎月第一土曜日の15:00~、杉本画伯が20年間使っていたアトリエを公開していて、学芸員の解説とともに見学することができます。また、毎週土曜日13:30~は、学芸員による展示作品案内も実施。健吉翁について、より詳しく知りたい人は、土曜日のお出かけがおトクかもしれません。
実際に使われていたアトリエが見られるなんて、またとないチャンス。取材日は第一土曜日だったので、私も遠慮なく参加させていただきました。アトリエは美術館の地下にあります。スリッパに履き替えて中に入ってみると――まだ、健吉翁がそこで制作を続けていそうな雰囲気のアトリエが。
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本当は床一面に画材が広がっていたのを多少は片付けたそうですが、たくさんの絵の具が重ねられたパレットや、今後の予定を書いた黒板など、あちこちから「まだまだ描くぞ!」という気概が伝わってきました。
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制作途中・未完成のままの作品もたくさん残っています。マツモトが気に入ったのは、この2つ。
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壁にはなんと、ご丁寧にこんな幡までも。......健吉翁、さすがです。
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◆展示室の外にも、そして今後も見どころいっぱい
本当はまだまだ紹介したい作品が山ほどあるのですが、ここでは涙を飲んで実際に美術館で見ていただくとして。
館内のレクチャールームや渡り廊下の大きな窓からは、自然の大パノラマを眺めることができるのも魅力の1つです。取材日はあいにくの雨で、その美しさをちゃんとお伝えすることができないのが残念。レクチャールームでは伊勢湾を望みながら、在りし日の杉本画伯インタビュービデオを鑑賞したり、お抹茶をいただいたりすることができます(300円・お菓子つき)。
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また、次回2010年1月1日(元旦・金)~4月20日(火)までは、『杉本健吉が描いた東大寺』展が開催されます。東大寺との縁が深く、終生テーマとして掲げていた東大寺にまつわる作品を一堂に集めたもの。この企画展も熱い内容になることは必至で、見ごたえがありそうです。
マツモトだけではなく、この美術館に出掛けてみれば、きっと誰しもが作品のみならず、おちゃめでおおらかな健吉翁自身のファンになってしまうはず。杉本画伯の作品は、人によっておもしろい!と感じるポイントが違うんだそうです。ぜひ、自分だけのお気に入り作品を見つけてくださいね。
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