(取材日2009年9月18日)
名古屋市東部丘陵地にある東山動植物園は自然の地形を生かした動植物園。総面積約60ヘクタールという広大さで、じっくり見学すると一日では回りきれない。園の東側の植物園(約27ヘクタール)と西側の動物園では客層に大きな違いがある。ファミリー、カップルの多い動物園。これに対して植物園は熟年のカップルやグループが目立つ。観光客の人気は動物園だが、時間があれば植物園も回ってほしい。
森に囲まれた園内では四季折々の花をゆったりと見たり、野鳥のさえずりを聞きながら森林浴を楽しむことができる。都会の喧騒を離れて、季節を感じながらのんびりと過ごしたいという向きにはぴったりだ。これからの季節は紅葉が見どころ。まだ少し早いので今回は大温室に出かけてみた。
温室というと「な~んだ」とがっかりする人がいるかもしれないが、これがとんでもない「お宝」なのだ。今を去ること70年以上前、昭和12年(1937)3月3日に開園(動物園は少し遅れて同年3月24日開園)した当初からあるもので、現存する温室としては日本最古。で、平成18年(2006)には国の重要文化財に指定されてしまった。普段から見慣れていた私も、そんなにすごい温室とは知らず入ったことはなかった。このブログ執筆を機に見学をすることにした。
温室は庭園に面した前館とその背後の後館がある。写真に写っているのが前館で、国の重要文化財に指定されたのはこの部分。ガラスのドームのようなひときわ大きな部分が中央ヤシ室で高さ約12メートルもある。その両脇にシダ室と多肉植物室がある左右対称の造りになっている。5室を合わせた幅は約66メートル。大温室の中に入るとジャングルのようにさまざまな植物が生い茂る。
入口にあった同園の解説書「国指定重要文化財 名古屋市動植物園温室(前館)」」によると、温室の歴史は古く、16世紀ころから欧州で造られ始めた。「アジア、アフリカへの進出に伴う熱帯植物の入手、植物学とともに」発展したという。日本初の温室は明治3年(1870)、東京青山の開拓使農園に建築されたもの。その後、華族や財閥の私邸で流行した。
鉄骨総ガラス張りの東山植物園の大温室は建設当時、優雅なたたずまいから「東洋一の水晶宮」と呼ばれた。水晶宮...。いい響きだね。室内にはこんなレトロな飾りも残っている。
植物観賞の前に注目したいのは建築工法。実は鉄骨のつなぎ目がリベット組でなく、当時は最新工法だった電気溶接されている。こうした工法が国の重文指定のポイントになった。
建設当初、木造だった後館は戦災で焼失、伊勢湾台風でも被害を受けて戦後に増改築が進んだ。しかし前館は破損したガラスの取り換えだけで、今も建設当時のままだ。
となると興味がわくのは「建設時から生き残った植物はいるのか?」ということ。あった。あった。当初から生き残った植物には「開園(昭和12年)当初より植えられていた」と書かれた札が掲げられている。たとえばこれ。
ムラサキバンジロウ。ちょうど赤い実をつけていた。植物園の女性ボランティアガイドさんがこんな話をしてくれた。
「お年寄りの男性が、なつかしいといって赤い実を見つめていた。男性は戦時中にフィリピンに出兵していたときに、この赤い実を食べて飢えをしのぎ生き延びたそうです。南米原産ですが、フィリピンにもあったようですねえ」
開館当初からある植物を数えてみると10数種類あった。それは当時の日本の南進策の残滓にも思えた。
ボランティアさんの案内で珍しい植物を見て回る。「なんで、そんな形に?」と思わず笑ってしまう植物がてんこ盛りだ。まずヒコウキソウ。
続いてトケイソウ。
そして幹に直接、実をつけたマレーフトモモ。
最後はこれ。
矢印の先を見ると逆さになった「八」の字が。その名もマルハチ。小笠原原産の大型シダで、茎から葉が落ちた跡に逆さの丸八マークができる。葉が水分や栄養分を取る維管束の跡だそうだ。紹介しきれないけど、まだまだ面白植物はたくさんある。
生命の爆発と多様性を感じる「水晶宮」であった。
東山動植物園では11月15日まで、「秋まつり」を開催中。さまざまなイベントが行われている。植物園では期間中毎日、午前11時~正午にガイドボランティアによるガイドツアーがある(雨天中止)。























